機動戦士ガンダムを深く熱く語る。part 1 of 3

Digging Deeper: Mobile Suit Gundam, part 1 of 3 by Brent Newhall

こんにちわ皆さん、今日もビデオを見てくれてありがとう。 今日は「機動戦士ガンダム」のテーマについて深く掘り下げてみようと思う。

責任

まず「機動戦士ガンダム」における責任感について語りたいと思う。 アムロはガンダムに乗って戦うことになるのだがそれは周囲に期待されてのことで彼自身の意思ではない。 アジアの人たちと私たち欧米の人とでは責任に対する認識が違っている。 いや言い換えよう、責任に対する認識が東洋の文化と欧米の文化で違いがある。 その違いはガンダムの至る所で出てくる。

アムロは自衛のために、生き残ろうとしてガンダムに乗る訳だが彼以外にはまともにガンダムを操縦できないことがわかる。 この時点でアムロにはガンダムを操縦しなければならないという義務が発生している。 アムロの意思は関係なく、彼にしかできないのなら彼がやらなければならない、 そのことに責任を持たなければならない。

これは欧米のストーリーでは見られない表現だ。 個人の自由を優先する欧米ではどの様な能力を持っていようが個人が正しいと思ったことをしようとする。 ガンダムでは能力を持っているならそれを社会のために使わなくてはならないというメッセージが伝わってくる。 とても興味深い。

そしてそれはキャラクター達の成長にも関わってくる。 関わりたくはないが、ある時点で関わらなければならないと自覚する。 そんな瞬間を全てのキャラクターが何かしらの形で経験している、 ブライトもカイもハヤトもね。



「機動戦士ガンダム」は成長というものをとても丁寧に描いている点が素晴らしい。 ここまで丹念にじっくりとキャラクターの成長を表現したアニメを見たことがない。 全ての話を見終わった後に第1話を振り返ってみるとアムロの成長具合に感動を覚えるほどだ。 最初に登場した時、彼は自分のことしか考えていない子供だった、フラウ・ボゥのことを無視したりね。

でも最終話近くではアムロは周囲の人間のことを考えられるようになっているし 彼らに対して責任を持つことを受け入れ 何をしなければならないのかをはっきりと自覚している。

物語を通じて経験してきたことが彼の自己中心的な性格を消し去り全く違う人間になっている。 社会に溶け込み、周囲に気を配れるように、元々の彼からは想像もできないくらい立派な男に成長している。

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キャラクター達は最初と最後で全く違う人間に成長していくが所謂ドラマティックな出来事、 トラウマになるような経験をすることで一気に価値観を変えるような演出を取っていない。 もちろんそのようなストーリー展開は悪いことではない、とてもリアリティーを与えてくれる演出だと思う。

だが「機動戦士ガンダム」では物語と共にゆっくりと変化していくのでもっと自然でリアルに感じられる。 カイもハヤトもブライトもミライも時間をかけて最終話での人格にシフトしていき、 全てのキャラクター達の変化に説得力がある。 ブライトは最初の2~3話と最終話とでは全く違う艦長になっていて視聴者は彼がなぜ変わっていったかをよく理解できるので 感動もひとしおだ。

ガンダムが描く戦争


もう一つの重要なテーマは「戦争は人をおかしくする」ということだ。 これは他のガンダムシリーズにも受け継がれていくテーマで 戦争や殺し合いは人々を狂気に駆り立てるという強いメッセージが伝わってくる。 ジオンも連邦も両軍共におかしくなっていく。

ザビ家はその典型だし連邦軍も、例えばアムロが母を捜しに地球の実家に帰ると連邦軍兵士がアムロの家で乱痴気騒ぎを起こしている。 軍規がたるみきっている様子が描かれとてもショッキングなシーンだ、彼らは"正義"の側にいるはずなのに。 戦争中以外ではできないことを戦争中は平気でしてしまう。

それまでのアニメでは善と悪の境界がはっきりしていたが「機動戦士ガンダム」ではとても曖昧になっている。 だから敵側の視点もちゃんと描くし、それによって彼等にも共感を覚える、シャアに至っては最初から最後まで応援してしまう。 前線の兵士達はただ兵役に召集されたかコロニー独立のために志願した一般人で思わず同情してしまうシーンも多いのがガンダムの素晴らしいところだ。

世界観


「機動戦士ガンダム」を語る上で外せないのが世界観だ。 それまでのアニメに出てくる科学技術は割とテキトウな描かれ方してきたが「機動戦士ガンダム」では とても考え抜かれいてる。 アニメに限らずSF作品には恒星間航行など現代科学では不可能なことを可能にするために 架空のテクノロジーが発明されたか発見されるたことにしている。 もちろんガンダムにおいてはミノフスキー粒子のことだ。

ミノフスキー粒子が素晴らしいのは様々な問題を一気に解決するアイデアだからだ。 一つはモビルスーツなどを動かす動力源の原子炉の小型化を可能にしたという設定、 そして粒子を散布することで通信障害を生じさせレーダーを機能させなくするという設定だ。

世界のSFファンの間で何十年もの長い間議論されてきたことがあってそれは、 宇宙で戦闘をするのなら遠くからレーザーなりミサイルなりで攻撃するのが自然ではないか? あれだけ進んだテクノロジーを持っていながらなぜ接近戦、ドッグファイトをする必要がある? という疑問だ。

スターウォーズではブラスターや他の光学兵器は命中精度が悪いから接近しなければならない という理由になっているが納得できる人はいるだろうか? スタートレックに関しては... もはや理解不能だ。

「機動戦士ガンダム」では軍隊は戦闘空域に近づくと先ずミノフスキー粒子を散布する。 そのままではレーダーに映らない空間ができて敵に居場所を知らせることになってしまうから 他の場所にも散布する。一帯は直ぐに霧に包まれた戦場と化してしまう。

そうやって白兵戦の理由づけをしている、 ミサイルは誘導機能を失うしレーザーも敵の居場所が把握できないのだから無意味だ。 接近して戦う必然性を他のどの作品よりうまく説明できている。



また便利な架空テクノロジーではあるが所謂ワープのような 突飛なレベルの技術にまでなってないところも作品のリアリティレベルを上げていると思う。 火星は未だに遠い星だが 地球とラグランジュ・ポイント(コロニーがあるポイント)の移動にかかる時間はそれほどでもないという技術レベルは とてもいいバランスだ。

人類は宇宙空間を生息域にしているが未だにフロンティアだと見なされているのも興味深い。 作中でコロニーに向う一般の人達は少し不安そうで 宇宙世紀に入っても彼らにとって宇宙はまだ少し怖いのだということがわかる。 宇宙は彼らの日常だが居心地の良い空間ではないのだ。 これはこのガンダムという作品においてとても興味深く重要なポイントだ。

現代より何百年も前、海は日常の一部で多くの船が行き来していた。 だが同時に船に乗った人たちが帰ってこないこともまた日常で海は当時まだ危険なところだった。 それに良く似ている。

物語のスケール

物語のスケールが大きいことも「機動戦士ガンダム」の魅力だ。 アムロやホワイトベースは戦争の中心にあったと言っていいだろう、 だがそこ以外でも沢山の戦闘が起きているし戦闘以外のことも沢山起きている。 幾らでも派生作品がつくれるほど1年戦争のスケールは大きい。

例えばエヴァンゲリオンは主人公達が世界の中心で派生作品を作る余地が少ない。 別に問題視しているわけではなくあえてそうしていると理解している。 ただ構造が対照的だと思う。 「機動戦士ガンダム」のスケールは途方もなく大きく妄想が止まらない。


「機動戦士ガンダム」はとても革新的でアニメ史に残る名作だ。 まだまだ語りつくせないことだらけだ。次回はキャラクターごとの印象的なシーンなどについて語ってみたいと思う。 ではまた会おう。